こんにちは、悠帆堂です。
神奈川県横浜市と東京都町田市にまたがる約100ヘクタールの広大な敷地に「こどもの国」があります。1965(昭和40)年に開園した遊戯施設で、現在の上皇上皇后両陛下のご結婚を記念してつくられました。
近隣エリアで育った人にとってはとてもなじみ深い施設で、わたしも遠足などの学校行事やプライベートで何度も訪れてきました。大がかりで派手なアトラクションはないのですが、牧場やプール(冬はスケート場になります)、ボート(昔はドラム缶のいかだもあったような気がします)などなど、楽しみ方は多彩。桜や紅葉の美しさなど大人になってから気づく魅力も多くあります。



そんなほっこり感で迎えてくれる「こどもの国」ですが、ここには戦時中に東京陸軍兵器補給廠田奈部隊・同填薬所と呼ばれる爆弾の製造・貯蔵施設がありました。戦後、米軍に接収されて、その後返還。そして「こどもの国」誕生ということになるわけですが、園内には現在もその遺構が点在しています。
わたしも大人たちからは昔ここは弾薬庫だったんだよ、といった話ぐらいは聞いていたのですが、なかなか詳しく知る機会はありませんでした。そこでウン十年の疑問を晴らしに、このためだけに「こどもの国」を訪ねました。
それでは、行ってみましょうか。
園内にさりげなく残る往時の面影
この石垣は、往時のままのものだそうです。向かいにある「多目的広場」には田奈部隊の本部が置かれていました。近くに防空壕の跡があり、入口はレンガで埋まっているということなのですが、よくわかりませんでした。これがそうかなあ…。



園内には2つのトンネルがあり、こちらは第1トンネル。やはり当時からあるものだそうです。

「これなに?」 子どもが一度は訊ねる弾薬庫の遺構
さて、牧場の近くまでやってきました。奥に見えるあれです、あれ。訪れた子どもが「あれ、なあに?」と訊かずにはいられない構造物。

これが弾薬庫の跡で、かつては33基あったそうですが現在確認できるのは11基とのこと。出入口は2つで1セット。中は幅26m・奥行7mぐらいの大きな空間でつながっているそうです。






倉庫などに活用されているものもあります。
緑の中にひっそりとたたずむ換気塔
わたしも今回初めて知ったのですが、この弾薬庫の屋根部分には換気口があって、現在でも残っているものがあります。子どもたちはあまり来ないだろうな――と思うような緑の中にひっそりと佇んでいました。

「白鳥湖」のほとりから別の換気塔を見つつ「椿の森」へと登っていくと、静かな森の中にまた異なる構造物がありました。


これは対空監視哨、高射砲台の跡です。看板がありますが、これは砲台の説明とかそういうことではなく「椿の森」の説明です。「こどもの国」の遺構には案内板等がなく、それがかえって印象的です。

子どもたちのそばで余生を過ごすかのように
「椿の森」から降りてくると、「ローラーすべり台」やプールが目に入り、また子どもたちがのびやかに遊ぶ空間が開けます。


プールの向かいにある「ふれあい学び館」には、園の歴史についてのパネル展示があります。見学などのレクチャーに用いられている感じですが、一般の人も自由に入れます。


あえて園内の遺構だけを見て回ると、少し不思議な感じがします。こうしたパネル展示はありますが、遺構そのもののまわりには案内板などはありません。声高にアピールをするわけでもなく、かといって隠したり壊したりすることもなく。なんだか子どもたちのそばで静かに余生を過ごしているかのようです。
さて、そろそろ帰りましょうか。
最後に正門の近くにある「平和の碑」に立ち寄りました。動員されていた女学生の方々が後に建てたものです。白百合の丘と呼ばれ、当時、女学生の皆さんの休憩所があったそうです。


正門前の広場は、「らくがき広場」。チョークをもらって子どもたちが自由に落書きできるようになっています。

来年2025年に「こどもの国」は60周年を迎えるそうです。
わたしがそうしてもらい、わたしもそうしたように、
またわたしの子どもたちもいつか自分の子どもを連れて遊びに来るのかもしれません。
そんな世の中がずっと続きますように――。
※参考資料:「こどもの国歴史ガイド~こどもの国の生まれる前を探検してみよう~」「こどもの国50年史」(社会福祉法人こどもの国協会)
■開園時間 9:30~16:30(最終入園時間 15:30)※7~8月は17:00まで(最終入園時間 16:00)
■休園日 毎週水曜日(水曜が祝日の場合開園)、12/31・1/1
■入園料 おとな・高校生/600円 中学生・小学生/200円 幼児(3歳以上)/100円
■公式サイト https://www.kodomonokuni.org/